ビリー・ライレーは、1900年代初頭に活躍したイギリスのレスラーです。
日本にプロレスが持ち込まれたのは、第二次世界大戦後の1950年代ですが、ビリー・ライレーと“蛇の穴”ビリー・ライレー・ジムといえば、昭和のプロレス・ファンには聞き覚えのある名前でしょう。
産業革命の時代からイギリスでは、ランカシャー・レスリング、いわゆるキャッチ・アズ・キャッチ・キャンが大流行していました。その技術を日本で披露し、一世を風靡した“人間風車”ビル・ロビンソンや、“プロレスの神様”カール・ゴッチの師匠として、ビリー・ライレーが昭和のプロレス中継や雑誌で紹介されていました。
“プロレスの神様”カール・ゴッチは、アントニオ猪木を始め多くの日本人レスラーを指導します。
その技術と思想は、当時のプロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリ戦を代表とするアントニオ猪木の異種格闘技戦、キック・スープレックス・サブミッション主体のUWF、さらにはシューティング(現:修斗)、パンクラス、プライドなどの総合格闘技(MMA)の誕生に繋がっていきます。
時代背景、ルールの変化にともない、失われていく技術も多くあります。また、新しいスターの誕生とともに、かつての偉大なレスラーたちの名前は忘れ去られていきます。
しかし、現在の私たちの知識や技術は、先人たちの知恵と努力の上に積み上げられたものだということを決して忘れてはいけません。
ビリー・ライレーの長男、アーニー氏と
ビリー・ライレーの長女、ジェーン氏と
ロイ・ウッド先生、ビリー・ジョイス氏と
私は1993年に初めてイギリスに渡り、“ビリー・ライレーの最後の弟子”ロイ・ウッドに師事しました。また、ビル・ロビンソンの指導も受けました。二人の先生からビリー・ライレーの技術はもちろん、人生の哲学を学んできました。そして私は2007年に自らのジムを京都に設立し、ロイ・ウッドによりそのジムは“ライレージム京都”と命名されました。
1896年生まれのビリー・ライレーが生きた時代というのは、裕福で便利な現代に生きる私たちには想像もできないくらい過酷で厳しいものだったでしょう。
1990年代、私は幸いにもビリー・ライレーの家族や弟子の方々とお会いすることができました。しかし、2023年現在、彼らのほとんどはもうご存命ではありません。
マットも敷いていない野原でスリ傷だらけになりながら練習し、わずか14歳にして賞金マッチで戦い始め、激動の時代をたくましく生き抜いたビリー・ライレーの人生、熱い魂、磨き抜かれた技術。
これらを一人でも多くの方に伝えていくのが、“ライレージム”の称号を授かった私の使命だと思い、「ビリー・ライレーに学ぶ会」を発足いたしました。
★会の内容
《トーク》では、貴重な写真や映像とともに
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中世イギリスのレスリング~現代オリンピックレスリング、プロレス、総合格闘技(MMA)までの歴史を紹介
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ビリーライレー誕生~選手時代~コーチ時代、「蛇の穴」とライレーの弟子たち、ライレーの死後~現在の「蛇の穴」を詳しく紹介
《技術紹介》では、マット上で詳しい解説をまじえて
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ルールの変化に伴う各時代の技術を実演
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「蛇の穴」の技術、ビリー・ライレーの試合の再現
※テーマは毎回変わります。